働きやすさを考える

今週号のAERAを読む。一番気になったのは『女の寿命が縮んでいる』という特集。要約すると、

  • 共働きだが夫は家事・子育てに協力的ではなく、家事と仕事の両方に孤軍奮闘する女性にかかる体力的・精神的負担は非常に大きい。
  • 仕事をする上で『女である』という事実を無視しなければいけない状況とそれに対する体の反応(生理不順や婦人病になりやすいだとか)

これらの点でいわゆる「勝ち組」女性もすごい大変。女性の急死も急増しているそうです。
うちの母がこの記事をとても熱心に読んでいた(『夫を愛せない』という記事も熱心だったが)。彼女は小学校教員で、そしてつい先日50歳の誕生日を迎えた。去年は乳癌(しかもそこそこ進行していた)であることが発覚し、すぐに乳房除去手術をした。手術は無事成功に終わったが、10年生存率(10年後に生きてられる確率)は50%なのだ。彼女にとってこの記事はまさしく自分のことである。
小学校教員=公務員。一般企業の総合職でバリバリ働いている女性よりは、時間的、体力的には楽な仕事であったと思う。しかし、娘の目に映る母の姿は毎日毎日へとへとになって働いている姿だった。真面目な人なので仕事にも真摯で、そのうえ家事のほとんどをこなし、子供を二人育てるということは本当に重労働なのだと幼いながらも感じていた。うちの父は少なからず家事を手伝ったが、基本的に自分中心の人間なので無茶苦茶な物言いも多かった。それを聞かなくてはいけない母の立場も私にはひどく気の毒に見えた。そんな姿を見ているからこそ、私は家事の手伝いを積極的にする子供に育つことが出来たのだと思う。そして恋愛対象には男女平等が体に刷り込まれている男子に好感を抱く。
話がそれた。手術後、ちょっと仕事を休んだら?と家族、親類、同僚の先生方は母に休養案を押した。しかし母は頑としてそれを受け入れず、退院後すぐに職場復帰をした。周りに迷惑をかけたくないと強く主張した。
そんな母を私は大好きだが、あほだとも思う。長生きしてほしいのだ。あと10年そこらで死んでほしくない。もっともっと生きて、いろんな事教えて欲しいし、支えになり続けて欲しいのです。自分の体をもっともっと大切にしてください。
人間の本当の豊かさって何なんやろ。ニュースや新聞見てると『日本はダメだ』という声が多いように感じる。(私は社会学などを学んでないし、一般的なレヴェルでの話しか出来ないのだが、)社会は個人に向けてさらに大きい負担を持たせようとしているように見える。仕事に関して言えば、体を酷使し必死に働くか、やりがいのない流れ作業のような仕事に従事するか、大げさに言えばこの2択だ。私はどちらも良いとは絶対に思わない。欧州的な時間の流れがゆったりとした社会というものは日本では形成できないのだろうか。勉強不足ゆえに良くわからない。ここから思考が進まない。
就職活動というものを通して、自分はどんな人間になりたいか、どんな生活を送りたいのかということについて考える。私はやはり仕事も人間的な生活もどちらも充実させたい。これはもう譲れないものだ。以前は良い企業に入るためには「全国転勤?もちろんオッケィです!」「女性の離職率がちょっぴり高い?いやいや、私は負けませんよぉ!」といった気持ちでした。でもそれは自分の正直な気持ちを無視して企業にゴマすってただけ。
私は結婚したい。子を産みたい。子をもうけても仕事を続けたい。
これは私の心の声だ。きちんと聞いてあげたい。自分のスタイルや価値観をバックアップしてくれる場所を自分の為に探さなければと強く感じました。